今週のメッセージ 2003.8.10

生の空しさ・儚さを超えて

 

長引いた梅雨も明け、やっと本格的な夏の幕開けとなった途端、一昨日は早や立秋。しかも台風10号の襲来で、立秋に入ると不思議と感じられる朝夕の涼風もどこへやら。まったくおかしなこの週末でした。

子どもの頃から、朝夕に涼風が立ち始めると、なんとなく侘しさのようなものをある時まで感じていたことを思い出します。

また、何か楽しいことが終わった後に、何か空しさというか、儚さというか、そんなものを感じたものです。今から思うと、それは人間の生に対する空しさ、儚さ、侘しさであったように思います。

しかし、ある時から、そうしたものを感じなくなったのです。その「ある時から」とは、主イエスという方と出会い、そのお方を信じ、そのお言葉によって生きるようになった時から、です。

主イエスと出会うことによって得た恵みひとつは、自分の生に意義と目的を見出し得たことです。それまではどうしても、この楽しさも束の間で、すぐにまたしんどさがやって来る。そして、どうせ最後は死んで終わりになるだ、という思いに襲われました。ところが、主イエスを知った時から、そうした空しさ・儚さ・侘しさが消えたのです。

聖書の中に次のような言葉があります。

「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(新約聖書・ヨハネ17:3

「永遠の命」と聞くと、わたしたちはこの命を限りなく延ばして、いつまでも続く命のように捉えがちですが、そうではありません。神との交わりの中にある命であり、永遠に連なる命です。この命は、空しさ・儚さ・侘しさに代えて、喜び・平安・希望をもたらすのです。