今週のメッセージ 2003.9.14

「敬老の日」に因んで

明日は「敬老の日」です。

年齢を重ねて年寄りになることを当の本人はどのように感じているのでしょう。また周りはどんな風に見るのでしょう。

正直に言うと、“歳は取りたくないネ”が本音でしょう。視力は弱り、体力は落ち、容姿は衰え、これまで出来ていたことが次第に出来なくなり、周りからはだんだん当てにされなくなり、ついには厄介者になり...、数え上げたら切りがないでしょう。

周りもどうも歳を取ることに肯定的な評価を与えないようです。「じじい」「ばばあ」と馬鹿にされ、汚い、鈍い、遅れていると敬遠されます。若いこと、新しいこと、見てくれがきれいなことがよいこと。その物差しで計ると、老人は決定的にダメなのです。

聖書は「老人」についてどのように語っているのでしょう。

「力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳。」(旧約聖書・箴言20:29)

「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。」(同・レビ記19:32)

「しかし、彼はこの長老たちの勧めを捨て、自分と共に育ち、自分に仕えている若者達に相談した。」(同・列王記上12:8)

長老たちのアドバイスを捨てたソロモンの息子レハブアム王の選択は、国を分裂させることとなりました。

老人の白髪の見てくれの美しさがたたえられているわけではありません。それまで社会の為に尽力し、長い人生を通じて得た経験や学び取った教訓の貴さを評価しているのです。老人を尊ぶことは、神を畏れることに通じることを示唆しています。