今週のメッセージ 2003.9.21

「見る」から「聴く」へ

 

イタリアのベネチア国際映画祭で、北野武監督の『座頭市』が監督賞を受賞し話題になりました。年輩の方々は、『座頭市』と聞くともう亡くなりましたが勝新太郎を思い浮かべることでしょう(筆者もそのひとり)。その子分役は自殺で亡くなった田宮二郎でした。盲目の居合いの達人に扮した勝新太郎の仕込み杖の太刀さばきは独特のものでした。

その勝新太郎のいわば代表作『座頭市』を北野武が演じたわけですから二番煎じではないか、と思ってしまいます。しかし、外国の方々は、勝新太郎の『座頭市』など全く知らない方がほとんどでしょう。そこへ“さむらい”“居合い”“日本舞踊”“三味線と太鼓”“賭場”といった日本独特の異国情緒、加えてお笑い出身らしいたけし監督ならではの深刻な中に所々に織り込まれた笑い、ストーリーの意外な展開等が外国の方々に受けたのかも知れません。

北野武扮する『座頭市』が終わりの方で吐く台詞に“目暗には人の心がよく見えるだよ”というのがあります。目が見えているのではないかと思える程の見事な太刀さばき、否、人の心の思いまでも見通しているような仕込み杖のあざやかな扱いの『座頭市』が、ふっと漏らす言葉です。

目が見えるということは、かえって見えない部分を見て取ることを鈍くしているのかも知れません。反対に、見えないことにより、かえって聴くということに全身全霊を注ぐことになるのでしょう。

新約聖書の中に、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉をきくことによって始まるのです」(ローマ10:17とあります。折々、語りかけられる神の言葉をしっかりと聴き取りながら生きるならば、その生活は一変するに違いありません。