今週のメッセージ 2003.10.5

人生に伴う苦難

 

私事になりますが、昨日の10月4日はわたくしの44回目の洗礼記念日でした。クリスチャン年齢としては満44歳を迎えたわけです。40代ともなれば壮年、充実期です。しかし、クリスチャンとして充実してきたかと問われると、胸を張って“ハイ”とは言えない自分を見出します。

それはそれとして、44年間の信仰生活を振り返る時、信仰を持って生きているからといって、決していわゆる苦難や試練と無縁ではないことを思います。むしろ、信仰を持つが故にかえって苦しみがつのるということもあります。神の恵みの中に生かされているはずなのに、何故このような苦難に当面しなければならないのか、といった具合に。

わたしの場合、病気だけに限っても中学時代に7ヵ月の休学で留年(この時は未だ入信はしていませんでしたが)。神学校時代にも1年3ヵ月の休学で留年。牧師の道に入ってからも、5年前には2ヵ月余の入院。昨年も11日間の入院。そして今月末にはある手術の為に順調にいっても2週間の入院の予定が入っています。

決して生来病弱の体というわけではありませんし、不摂生な生活をしているわけでもないのに、なぜこう次から次へと、と思ったりもします。

しかし、もしこうした闘いがなくここまで来ていたら、自分はどうだろうと考えてみます。きっと、もっと高慢な、そして他者の痛みのわからない人間になっているのでは、と思います。

「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。...およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」(新約聖書・ヘブライ12:7、11)