今週のメッセージ 2003.10.12

「休日」を考える

 

明日は「体育の日」。3連休の方も多いかと思います。もともと「体育の日」は1964年の東京オリンピックの開会式を記念して1010日だったのですが、祝日法の改正により10月の第2月曜日となりました。連休を増やそうとの配慮からでした。「スポーツに親しみ、健康な心身をつちかう日」というのが「体育の日」の意義とされています。

「心身」といっても、どちらかというと「心」より「身」の方に重きが置かれている感じです。去る10日、文部科学省は子どもと親を比較すると、身長は伸びたが握力は低下したとの検査報告を発表していました。

祝日ではありませんが、33日は「耳の日」、64日は「歯の衛生週間」、87日は「鼻の日」、1010日は「目の愛護デー」といった具合に人間の「体」に因んだ日は結構目につきます。それに対し、人間の「心」に因んだ日はあまり見当たらない感じです。

しかし、本来はそうではありません。いわゆる「休日」の原点は旧約聖書に出て来る「安息日」にあります。新約聖書では「主日」と呼ばれ「日曜日」がその日です。いわゆる「休日」の概念は、仕事から離れ、体を休めると共にレジャーを楽しむ日、というのが一般的でしょう。しかし、ただ仕事を休んでレジャーを楽しむというよりも、神によって造られ、生かされている人間が、神と真向かい、礼拝を献げる中で新しくいのちの恵みをいただき、かつ生の指針をいただくことが本来的休日の意義なのです。従って、キリスト教では毎日曜日、体だけでなく、それ以上に「心」に因んだ日を迎えているといえます。中国語でも昔は日曜日を「礼拝」(リーバイ)と呼び、月、火...を礼拝一、礼拝二...と呼んだそうです。

「心」に因む休日も生活の中に取り入れられることをお勧めします。