今週のメッセージ 2003.12.14

無意味・無駄の苦しみ

 

人間にとって無意味・無駄は耐え難い苦しみです。死さえも、そこに高い価値や意味を見出し得れば耐えることが出来ますが、反対に無意味・無駄としか思えない時、その苦しみは計り知れないものとなります。

昨夜、NHKのBS番組で、死の国の旋律、『アウシュビッツと音楽家たち』を観ました。あのアウシュビッツ収容所で、ユダヤ人たちをガス室に送り込むに際し、事を穏やかに(?)運ぶ為に、ナチは、音楽の賜物を持ったユダヤ人達を集めてオーケストラを構成し演奏させたのです。その演奏者達は音楽的才能の故にガス室送りを免れ得たのですが、しかし、ナチに手を貸し、多くの同胞の虐殺に加担したという責めを心に負い、一生その苦しみを背負って生きなければならなくなってしまったのです。

ある女性は、戦後も軍服を着た人間を見ると発狂状態になったり、コンサートに行っても、当時演奏した曲が奏でられると失神してしまったりということで、その心の傷の深さに計り知れないものを感じさせられました。

収容所内で、数え切れない不条理な死、人間としての尊厳などかけらも無く、無意味・無駄としか思えない死に接してきた彼女たちなのですが、しかし、いつの日か、その死に意味があったことがわかる日が来ると信じていると述懐されていました。

「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。...」(ヨハネ黙示録21:4)

上記の聖句は、新約聖書の最後の書の中で、キリストの再臨によりもたらされる救いの完成――新天新地――の様子を描写しているものです。この時こそ、今は無意味・無駄としか見えないことの中に、意味・価値があったことが明らかになる日だと信じます。