今週のメッセージ 2004.1.18

十字架の贖いについて

 

新たに始まったNHKの大河ドラマ『新撰組』に先立ち、その前宣伝が盛んでした。近藤勇や土方歳三は幕府側について生きた人たちです。しかし、佐幕派でもなければ討幕派でもない、あの激動の時代を生きた人物のひとりに新島襄がいます。一般的には明治時代の教育の先覚者、同志社の創始者として知られます。また、彼が熱心なクリスチャンであったことを知る人も多いでしょう。

彼の有名なエピソードに、開校してまだ5年ほどしか経っていない頃の同志社英学校で起きた生徒の授業ボイコット事件があります。開校間もなかった為、まだ学年の区別もはっきりしていなかったようです。そんな中で、4月に入学した生徒が9月に入った生徒と同じ学年扱いされていることに腹を立て、授業を放棄してしまったのです。教師達の懸命の説得も功を奏さず、ついに新島校長は責任を取って辞任を言い出した時、予想だにしなかった事態に教師たちは驚き、騒ぎを起こした生徒達も新島校長に謝罪したのです。

それで事は収まったかに見えたのですが、新島は、ただ謝るだけですませてよいのかと反問、1890413日、全教職員、全校生徒が集まっている朝礼拝の場で、罪は罪としてきちんと清算せねばならないと、自分の左掌を右手に持った鞭で肉が裂け、血が飛び散るまでに激しく打ったのです。新島は、赦しには神の犠牲があることを職員、生徒達に伝えたかったのでしょう。

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」

新約聖書・第2コリント5:21