今週のメッセージ 2004.4.4

受難週入り

 

キリスト教会では、今日から受難週と呼ばれる特別な週を迎えています。イエス・キリストが十字架にかかられた出来事を記念して過ごす一週間です。そして次の日曜日は、キリストの復活を記念するイースタ―となっています。

実を言うと、キリストの十字架の死も、三日目の復活があって、俄然、格別な意義が認められることとなったのです。さらに遡れば、キリストの降誕を記念するクリスマスも然りです。復活があって、初めてその降誕を特別な出来事として受けとめられるようになったのです。

復活については次週に譲るとして、キリストの十字架について考えてみたいと思います。

福音書をみると、十字架の時が近づいてきた時、主イエスは三度に渡りそのことを予告されました。その折、次のようなことばも併せて語られました。

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」(新約聖書・マタイ16:24,25

この言葉の意味するところを端的に言うならば、神のため、キリストのために失うこと、捨てること、犠牲を払うことは、失うことではなく得ることだというのです。

先月出た樋野興夫著『がん哲学』(to be 出版)によると、がん細胞のたくましい増殖力は、自ら作り出したものを外に提供することにより、外から得ることに因っているとのことです。自らを生かす道は取り込むことだと思いがちですが、犠牲を払うことこそ、却って生かされる道なのです。