今週のメッセージ 2004.4.11

十字架の死そして三日目の復活

 

今年も主イエス・キリストの復活を記念するイースターがやって来ました。実を言うと、キリスト教信仰の礎は、このキリストの復活にあるのです。使徒パウロという人が、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます」(1コリント15:14,15と言っているほどです。「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂」(同20節)となられたのです。常識では考えられないことですが、キリストは、事実、甦られたのです!

このキリストの復活がすばらしいのは、先週の受難週がその記念であったキリストの十字架の死からの復活だったからです。その死は、単なる宗教指導者の殉教の死といったものではありません。それは、わたしたち罪人の罪とそれがもたらす滅びの死を、身代わりとなって背負われての死、すなわち、贖罪死なのです。キリストの復活は、この贖罪死からの復活です。そのことは、キリストが、負われたわたしたちの罪と滅びの死に勝利されたことの証に他なりません。そして神は、このキリストを救い主として信ずる信仰を、わたしたちの救いの手立てとされたのです。故に、同じく使徒パウロは、「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています」(同1:22,23と言っているのです。

「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、......キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、......です。」(新約聖書・1コリント15:3〜5)