今週のメッセージ 2004.4.25

「人はパンだけで生きるものではない」とは

一般的によく知られている聖書のことばのひとつに、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」があります。新約聖書の中の最初の書「マタイによる福音書」44節に出て来るもので、主イエスが4040夜の断食の末に空腹になられた時、悪魔が石をパンに変えて食して生きよと誘ったのに対し、それを退けた際に主イエスが発せられたお言葉です。

この言葉は、その時、主イエスが発せられた独自の言葉ではなく、旧約聖書の申命記83節からの引用です。その背景には、エジプトを脱出したイスラエルの民が、40年間の荒れ野の旅路において天からの食物として与えられた「マナ」のことがあります。

人間はとかく、目に見えるパンが自分のいのちの養いのすべてと思いがちです。しかし、イスラエルの民がマナで養われた背後には、それをこころとされた神の御意志と、それに基づいて発せられた“マナ降れ”との御言葉があったことを覚える必要があります。

従って、冒頭に記したマタイ4:4のことばは、“からだにはパン、精神には神のことば”といった二元論的な意味合いでないことがわかります。人が生きる上でパンは必要です。しかし、パンが人のいのちを養うすべてではありません。その奥に、それを御旨とされる神の御意志が働いているのです。主イエスは、断食における悪魔の誘い――神の御意志などそっちのけにして、石をパンに変え、自力で自分を生かせ――に対し、どこまでも御父の御意志に服することを選びました。そこにこそ、真に生き、生かされる道があると信じていたからです。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」者だからです。