今週のメッセージ 2004.5.16

“パッション”後のキリストについて

 先週は話題の映画“パッション”(The Passion of the Christ)について記しました。今週は、“パッション”後のキリストについて記してみたいと思います。

キリストの十字架の苦難を意味するタイトル“パッション”が示す通り、映画の内容は、キリストの十字架の苦難の描写で占められています。さらに言えば、十字架前夜のキリストのゲッセマネの園における苦闘の祈りに始まり、十字架の苦難と死、そして三日目の朝の復活の暗示を以って終わっています。

そこで、“パッション”後ということですが、まず来るのが「三日目の復活」です。これについては去る4/11付けのメッセージで記しましたので重複を避けることにします。

次に続くのが「キリストの昇天」の出来事です。これについては新約聖書の中の使徒言行録で次のように描写しています。

「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」(1:9)

この昇天のキリストは、父なる神の右に座し、地上で祈るわたしたちの為に執り成して下さり、また、死後のわたしたちをご自身のもとに携え上げて下さる。そしてやがて再びお出でになり、最後の審判を執行され、天地万物を刷新され、救いの御業を完成なさると約束されています。

この昇天のキリストの故に、祈りは決して虚空に向けての独り言ではなく、死後は土に返って消滅するのではない。また、この世界と歴史も死の闇に葬られてしまうのではなく、神がきちんと決着をつけて下さり、全救いが到来することへの確かな望みを持つことが出来るのです。