今週のメッセージ 2004.5.23

目に見えない方を見ているようにして

昨日、米国の知人から来たメールに、“ご存知ですか?”の問いかけのもとに米国最高裁の建物の上部に「十戒」を持ったモーセの像があること、法廷の入り口の巨大なオーク製の二つの扉の下部には“十戒”が刻まれていること、法廷の中に入ると正面の最高裁判事が座る真上に“十戒”のディスプレイがあること、ワシントンD.C.にある連邦政府の建物や記念碑には聖書のことばが刻まれていること等々が記され、建国の際、拠って立ったはずの理念を想起させていました。

今、イラクにおける捕虜虐待の事実が暴かれて、戸惑いと苦悩の中にある米国民の思いが伝わってくる感じがしました。

ところで、“十戒”で知られるモーセとは、旧約聖書の『出エジプト記』等に登場する人物です。彼はヘブライ人の家庭に生まれたのですが、神の不思議な御配剤の中でエジプトの王宮で王女の子として育ちました。しかし、王女の子と呼ばれるよりは神の民と共に虐待される道を選び、神の民イスラエルのエジプト脱出のリーダーとなってその使命を果たしました。

王女の子としておさまってさえいれば、何不自由なく安楽な生活が出来たにもかかわらず、彼はそれを捨て、同胞の為に敢えて困難な道を選んだのです。

新約聖書の中の『ヘブライ人への手紙』には、モーセは「目に見えない方を見ているようにして」(12:27)耐え忍んで生きたと記されています。

米国民と限らずすべての民は、「目に見えない方(神)」を「見ているようにして」畏れ敬い、その言葉に聴き従って生きることを、人の生き方の基本として求められているのです。