今週のメッセージ 2004.6.13

信仰と倫理

  “信仰でめしが食えるかヨー!”神学生の頃、よくこの罵声を浴びせられました。毎週金曜日の夕は、神学校構内にある教会で、神学生による伝道集会が持たれていました。集会に先立って、近くの商店街の通りを集会案内して回るのですが、八百屋のあんちゃんがよくぶつけてきた信仰批判(?)のことばです。

確かに生身の体を持って生きている以上、食べないことには始まりません。しかし、食べることさえ出来ていれば、人間はそれでOKかというと、そうはいきません。“人はパンだけでなく、神のことばによって生きる者”というのが聖書の教えるところです。そこで、信仰というものがクローズアップされて来るわけです。

論点が少し移りますが、少年犯罪の低年齢化、幼児虐待、性犯罪、政治家・官僚・企業家たちの不正・不義等が日常茶飯事の昨今です。そこで、あらためて倫理の問題を考える時、信仰抜きには考えられないのです。

有名なモーセの『十戒』は、前半が神との関わり方についての教え、後半は、人との関わり方についての教え、という組み立てになっています。そして、この組み立ては、信仰と倫理の問題に関し、非常に大切なことを示唆しています。即ち、「信仰は倫理の根、倫理は信仰の実」ということです。

戦前・戦中は良き実を結ばない信仰が国家を誤った方向へと誘いました。しかし昨今は、正しい信仰の根を持たない倫理の破綻が噴出しています。

確かに“めしが食えること”は大切です。しかし、世界の中でも豊かなめしが食えるようになった今、めしに苦労した頃にはあまりなかった問題が噴出しています。神を畏れ敬うことの大事さに目覚めるべき時です!