今週のメッセージ 2004.7.4

第六戒「殺してはならない」

「十戒」(出エジプト記20:217、申命記5:621)は、十のうち半分の五つには補足説明がついていますが、あとの五つにはありません。中でも第六、七、八戒は最も簡潔です。即ち、第六戒「殺してはならない」、第七戒「姦淫してはならない」、第八戒「盗んではならない」、といった具合です。言わずもがなの常識ということで補足説明もないのでしょう。

ところで、第六戒「殺してはならない」について、“なぜ殺してはいけないのか?”と真正面から問われたら、咄嗟に答えるのに窮する向きも多いかと思います。特に最近は、子どもも大真面目でこの質問を発し、それに対して大人が答えに窮したということが社会的な話題となりました。常識が常識として通じない社会が現出しつつあるのです。

聖書の他の個所を見ますと、「殺してはならない」ことの理由として次のような言葉が出ています。

「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。」(旧約聖書・創世記9:6)

厳密的には、直接殺人禁止の理由を説明しているというよりも、命には命による償いが求められることが言われ、そのようなこの上なく重い償いが要求される理由が語られているわけですが、それは同時に間接的になりますが、殺人の罪の重さの理由、つまり殺人禁止の理由が示されていると言えるでしょう。

「神にかたどって造られたから」というのが聖書の示している理由です。こうして見ると、6/13付けで記しました「信仰は倫理の根、倫理は信仰の実」があらためて甦って来ます。まさに「主を畏れることは知恵の初め」(旧約聖書・箴言1:7)なのです。