今週のメッセージ 2004.7.11

第七戒「姦淫してはならない」

前回の第六戒「殺してはならない」同様、この第七戒「姦淫してはならない」も、なぜ?と問われる時代になってしまっています。姦淫は決してほめられたことではない程度には理解されていても、どうしてと問われた時、はっきりとした理由を述べられる人はそう多くはないと思います。また、童貞や純潔が笑い者扱いされるような風潮があります。

旧約聖書の創世記1:27に、「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」とあります。つまり、「男と女に創造された」ことの中に、「神にかたどって創造された」ことの具体的なあり方があるのです。そして、その本質は、“関わりの中で”生きる、“交わりの中で”生きる、ということです。

人間のあらゆる関わりの中で“男と女”即ち“夫と妻”の関わりが最も根源的・基礎的な関わりです。また創造主なる神は、この関わりを通して新しいいのちを誕生させるように定められました。

「姦淫」はこの関わりを破壊するものです。そしてこの関わりの壊れは、当事者である夫婦だけでなく子どもにも多大の影響を及ぼし、また他のさまざまな関わりに波及していきます。

ところで主イエスはこの第七戒を取り上げ、「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」(マタイ5:27)と言われています。心の思いにまで遡って吟味される時、第七戒を完全に守り切っていると言いうる者は一人もいないでしょう。

主イエスの十字架は、そうした罪深いわれらの赦しの為に主が担われた贖いの業です。この主イエスにあって、互いに赦し合い、信頼し合って歩み出すところから、真実な関わりの中で生きることが始まるのです。