今週のメッセージ 2004.10.3

明日で洗礼を受けて45年

内村鑑三の次のことばはまさに至言です。

「キリスト教というからとて、これを、他のいわゆる宗教と同一列に置くは誤っている。キリスト教はいわゆる宗教ではない。神より人への啓示である。宗教は人が神を求むるものであるが、キリスト教は神が人を求むるものである。ゆえに前者は、人の努力、工夫、考究、修養、論理、修道に重きを置くに反し、後者はただ神の恩恵の受納を主眼とするのである。自己が種々の方法をめぐらして神に近より行くのが普通の宗教であって、ただ恩恵を受け感謝喜悦に入るのがキリスト教である。」

内村鑑三聖書注解全集・第17巻〔ロマ書の研究(下)〕の中で言われていることばですが、キリスト教と他宗教の違いを、そしてキリスト教の特質を見事に表現しています。

キリスト教は「神より人への啓示」である故に、それを信仰によって受容することが求められます。しかしわたしたちは、最初、自分の頭で理解納得しようとします。

それに関し、アウグスティヌスという人が次のように述べています。

「認識は信仰の報酬である。それゆえ信じんがために認識を求めようと欲するな。むしろ認識せんがために信じよ。」(アウグスティヌス『ヨハネ福音書講解』二九6)

自分の頭で理解納得がいったら信じようとすると、いつまでたっても信仰に入れないのです。ある時点でわたしたちは、イエス・キリストという存在とそのことばを信じて踏み出すことが大事です。それ以後知り得ることが大半なのです。

わたしも信仰の道に踏み出して、明日でちょうど45年になります。