今週のメッセージ 2004.11.7

主を畏れることは命の源

 

旧約聖書の中に「民数記」という書があります。英訳聖書ではただ「数(複数)」という書名がついている書ですが、内容的には、エジプトを脱出したイスラエルの民の荒野旅行記ともいえる書です。モーセに統率されてエジプトを脱出したイスラエルの民が、約40年の歳月をかけて約束の地カナンにたどり着くまでの様子が記録されているのですが、それはさまざまな示唆を与えてくれます。

その中で非常に興味深いことのひとつは、シナイ山で十戒を中心とした律法を授け、神の民とされたイスラエルに、神が最初に命じられた任務は礼拝の場である幕屋を建設することでした。

その後、神は全イスラエルの中で兵役に就くことのできる二十歳以上の男子を登録させるべく人口調査を命じられるのですが、レビ族だけはその対象から除外し、専ら幕屋の管理と運搬の任務を担わせるのです。できる限り多くの兵士を必要とするはずなのに、1部族を丸ごと兵役の義務からはずすのです。

旅の宿営においては、常に幕屋が中心に置かれ、レビ人はその周囲に宿営し、行進の際も、レビ人と幕屋は全体の中心に位置するのです。

これらのことは何を示しているのでしょうか。それは、神を礼拝することがいかに生活の中心に置かれるべきかを示しているのです。

以後、旧約聖書に描かれるイスラエルの民の歩みは、神を第一にして歩んでいる限りは祝福されるのですが、そこが崩れると常に災い、不幸、悲惨に見舞われるのです。

「主を畏れることは命の源/死の罠を避けさせる。」

(旧約聖書・箴言14:27)