今週のメッセージ 2004.11.21

神がご覧になるのは...

 

「人は外の顔かたちを見、主は心を見る。」

(旧約聖書・?サムエル16:7b

冒頭のことばは、ダビデという人物が、一介の羊飼いの少年からイスラエルの王座に着く人物へと向かい出す契機となったものです。

イスラエルは、当初は神政国家でしたが、民の求めに対して神が許容され、王政国家へと変わり、サウルと言う人物が初代の王位に着いていました。

しかし、サウル王は神の御旨に添うことが出来なかった為、神はサウルに代る王を立てることとされました。その人物こそ、エッサイという人の末っ子のダビデだったのです。神が、ダビデの七人の兄たちの中からではなく末っ子のダビデを選ばれたのは、何を基準にされたのでしょう。それが冒頭のことばなのです。神は「心」をご覧になるのです。

人間が最も見られたくないものは何でしょうか。それは「心」です。聖書の中のいちばん初めの書「創世記」の3章に人間の堕罪の記事があります。神のご命令に背いて罪を犯した人間は、「自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」(7節)とあります。これは文字通り外見的裸を恥じたのではありません。有りのままの姿で神の前に出られなくなったことを象徴的に示しているのです。罪を犯した人間は、心に後ろめたさを抱くようになり、神の前に有りのままの姿で立てなくなってしまったのです。

外見ならば、化粧、整形手術などで繕うことは出来るでしょう。しかし「心」は、人の目は誤魔化せても神の目は誤魔化すことは出来ません。そして神は何よりも人の「心」をご覧になるのです。