今週のメッセージ 2004.12.12

信仰とは

昔、今は無きチャールトン・ヘストンやユール・ブリンナーが出演した『十戒』というアメリカ映画がありました。旧約聖書に描かれているイスラエルの民のエジプト脱出の出来事を背景としたものです。

映画では扱われていませんでしたが、イスラエルの民は40年の歳月を費やして約束の地へ辿り着くのですが、そんな長い年月をかけなくても2年足らずで着くことも可能だったのです。その分かれ目となったのが、目指すカナンの地を探るべく派遣した、各部族の代表12人から成る偵察隊の報告でした。ヨシュアとカレブの二人は、必ず勝つことが出来ますから攻め入りましょう、と積極的な進言をしました。それに対し、他の10人は勝ち目がないとして攻め入ることに反対しました。そして民は消極的な報告を支持したのです。そのことが神の怒りを買い、偵察に費やした40日の1日を1年として40年の荒れ野の旅を余儀なくされることとなったのでした。さもなければ、2年足らずでカナンの地に入れたのでした。

その分かれ目は、神の約束のことばを信じたか否かに拠りました。ヨシュアとカレブは神のことばを信じたが故に積極的でした。しかし、他の者たちは、そして民全体も神の約束を信じなかった故に否定的な選択をしてしまったわけです。

新約聖書に、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)ということばがあります。キリスト教の場合、信仰とは、キリストの言葉に聞き、それを信じて生きることだと教えています。そもそも、旧約聖書、新約聖書の「約」は「約束」の「約」なのです。聖書の中から神の約束のことばを聞き取り、それに信を置いて生きて行くところに信仰とうものがあるのです。