信仰と希望

 

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(新約聖書・ヘブライ人への手紙11:1)

 

一般的には信仰と希望は全く別個の言葉ですが、聖書においては表裏一体をなしている言葉と言ってよいでしょう。なぜなら、信仰にしても希望にしても神の約束のお言葉に拠っているからです。神がその成就・実現を約されておられるので、それを未来に希望として抱くのです。そして、その約束のお言葉の成就・実現を信じるのが信仰です。

冒頭にその中の一句を示した『ヘブライ人への手紙』の11章では、その後に信仰をもって生き、希望をもってこの世を去った旧約聖書に登場する信仰の先人たちが次々と紹介されます。

その中の一人にアブラハムという人物がいます。ある時、神が彼に、生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい、と命ぜられ、また、あなたをすべての国民の祝福の基とする、と約束されました。すると彼は、「これに服従し、行き先も知らずに出発した」(同8節)というのです。そのアブラハムの決断と行動に「信仰によって」というフレーズが付けられています。

通常、わたしたちは約束を聞くと、それはいつ実現するのだろう、どんな方法で実現に至らせるのだろう、どんな過程をたどって実現を見るのだろう等々を知りたくなります。その上で、実現可能かどうか判断を下し、信じるか否かを決めます。

しかし、神は方法や過程などを飛び越え、その約束の成就を信じて生きることをお求めになるのです。それこそが、信仰による歩みなのです。