今週のメッセージ 2005.1.16

探し求めさえすれば見い出せる

日本は昔から“八百万の神々の国”いわれてきました。そこで、さぞかし国民は宗教心に篤いに違いないと思いきや、意外にも無宗教を標榜する人たちが多いのです。大体7割の方が無宗教と答えるそうです。しかし、それらの方々の中の75パーセントが宗教心は大切としているとのことです。何か矛盾しているように見えますが、無宗教という答えの中身は、宗教心が全くないというのではなく、ある特定の宗教の信者ではないことを意味しているようです。

確かに、新年には神社に初詣に行き、お盆には律儀に先祖のお墓参り、親子共々着飾って七五三の神社参り、建物を建造するに際しては神主さんを呼んで地鎮祭、クリスマスには教会へ、結婚式もキリスト教式、葬儀は仏式、といった日本人の生活スタイルを見ていると、結構宗教心が感じられます。

問題は、その宗教心が向けられる対象です。

新約聖書の使徒言行録という書の17章に、使徒パウロがギリシャのアテネで伝道した様子が記されています。当時は、アテネに3千位の神殿や像などの宗教的施設があったといわれます。

パウロは“知られない神に”と刻まれた祭壇に着目し、真の神をアテネの人たちに伝え、また、神を決定的に啓示したイエス・キリストと、キリストが神の御子・救い主であることを決定的に証しする復活を語りました。

ところで、キリストの復活が確かな事実であることを今日においても証しているものがあります。それはキリスト教会ならびにクリスチャンの存在と、日曜日に教会で持たれている礼拝の存在です。これらは、キリストが復活されなかったら、決して起こされなかったものなのです。