今週のメッセージ 2005.4.24

人はパンだけでなく神の言葉で生きるとは...

 

「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(新約聖書・マタイによる福音書4:4)

一般的にもよく知られている聖書の言葉の一つですが、通常どのように理解されているでしょうか。多分、人間は肉体的な糧だけでなく心の糧も必要だ、といった理解が一般的ではないかと思います。

この言葉が最初に登場するのは、上記の新約聖書の『マタイによる福音書』ではなく、旧約聖書の『申命記』8:3です。その背景には、イスラエルの民の40年にも及ぶ荒れ野の放浪生活と、その間、神が天からのマナと呼ばれる食物をもって彼らを養われたという出来事があります。

モーセに率いられてエジプトを脱出した彼らでしたが、食物に窮するに及んで、こんなくらいならエジプトにいた方がよかった、われわれを荒れ野に連れ出して飢え死にさせる気か、とモーセに喰ってかかったのです。そのような状況下で神は天からマナを降らせ、彼らを養われたのでした。

『マタイ』では、主イエスが救い主として公の働きを開始されるに先立ち、神の“霊”に導かれて四十日四十夜断食され、サタンの挑戦を受けられたことが背景となっています。サタンはイエスに対し、石をパンに変えて危機を脱出せよと誘います。しかし主イエスは、人が生きるのはパンだけによるのではない。神の御旨のもとに発せられる神の言葉こそ、われらの存在と生を根底で支え、正しく方向づけ、われらを真に生かしすとして、父なる神に信頼し、すべてを委ねて従う生き方を貫かれたのです。

物質的にはかつてなかった豊かさを享受している今の日本ですが、空しさやモラルの崩壊の根因に、神とその言葉に対する信仰の不在があるのではないでしょうか。