今週のメッセージ 2005.5.1

JR福知山線脱線事故に思う

 

先週の月曜日(4/25)の朝、兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線の脱線事故は、現代の日本社会に生きるわたしたちに重要な問題を突き付けていると思います。

原因調査が進むにつれ、事故原因の背景に、競合する私鉄との競り合いの中で、スピードアップと過密ダイヤが図られ、運転士は秒単位で遅れを出さないよう過度の緊張が強いられていたことが浮かび上がって来ました。

人間は、近代以前は時間の中に埋没していたが、次第に時間を対象化し、計量化することにより、時間を組織的合理的に使うことを身につける中で近代化を実現してきたといいます。

また、競い合う中で進歩・成長してきたことも確かです。

しかし、現代のわたしたちは大きな落とし穴にはまりつつあるように思います。いつの間にか、自分が時間の主人と錯覚し、さらには主人から奴隷へと転落していないだろうか、また、そのような時間支配と競争の目指しているものはなんだろうか、ということです。

「わたしの時はあなたのみ手にあります。」(旧約聖書・詩篇3115

時間の主人は神であって、人間は管理人に過ぎません。そのわきまえを忘れて限りなく支配を追及する時、自らの破滅を招くことになります。

競争の先にあるものは何でしょうか。営利企業であるならば、当然利潤でしょう。しかし、それにより多くの人命が失われ、また、運転従事者に対して人格否定的な扱いがなされる中での追求は明らかに行き過ぎです。

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」

(新約聖書・マタイによる福音書1626