今週のメッセージ 2005.5.29

“喜び探しゲーム”

どうせ生きるなら、喜びのある生活を、と誰もが願うことですが、なかなか願い通りにいかないのがこの世の現実です。

アメリカの20世紀前半の女流作家でエレナ・ポーターという人が書いた作品に『少女パレアナ』というのがあります。主人公パレアナは11歳の少女で、牧師をしていた父親との二人暮しの生活をしていたのですが、その父親も亡くなり、パレアナは一人ぼっちになってしまいます。11歳の少女では一人暮らしは無理なため母方の叔母に引き取られることになります。

その叔母はとてもお金持ちで気難しがり屋の独身女性でした。パレアナにあてがった部屋は屋根裏の小部屋で、絨毯も敷かれてなくて、ベッドの他には何もないような粗末な部屋でした。

鏡ひとつありませんでした。しかしパレアナは自分の顔のそばかすを見なくてすむと喜びました。壁に絵の1枚も掛かっていませんでした。しかしパレアナは、窓からすばらしい景色が見えると喜びました。

そんなふうにして、パレアナはどんな困難な中にあっても、いつも喜びを見い出して生きて行く術を知っていました。それは亡き父親から教わった“喜び探しゲーム”のおかげでした。

ところで、新約聖書の中に次のようなことばがあります。

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」

(フィリピ4:4)

「主において」というフレーズが大事です。なぜなら、“しかし結局、最後は死ではないか”と思うとすべての喜びも失せてしまうのですが、主イエス・キリストの十字架の死と三日目の復活は、「この世と来るべき世での命」(ヘブライ4:8)を約束して下さっているからです。