今週のメッセージ 2005.6.12

自殺者188人に思う

 

新聞報道によると、昨年の自殺者の数は32325人とのこと。1日に換算すると88人!毎日88人もの方々が自ら尊いいのちを絶ってしまったとは...。さらに未遂の人となるとこの5~10倍にもなるとのことです。

その原因は「健康」と「経済生活」が全体の3分の2を占めているとのことです。そこで厚生労働省は5年前に2010年までに22千人に減らす計画を立てたそうです。しかしなかなか実効が上がっていないのが現実のようです。

そうした対策を見聞きする時、あまり宗教とか信仰といったものが取り上げられていない現実を感じます。神学生の頃、学校のそばの商店街に集会あんないに出かけた折、八百屋のあんちゃんに、信仰でめしが喰えるかおっ、と罵声を浴びせられたことを思い出しますが、とかく信仰なんて思い込みに過ぎず、実利などないと思われてしまっているように感じます。もちろん信仰とか宗教と言っても八百万の神々の存在するお国柄ですから、仕方のない面もあります。

しかし、自殺を実行してしまう方々も、昨日や今日、急にそう思い立ったわけではなく、その背景には、それまでに培われた人生観や価値観、またそこに至るまでに積み上げられてきた人生の折々の選択などがあるわけです。信仰は、人間と生の根幹に関わる領域で、神が語りかける約束のことばを聴き、それを信じて生きていくことなのです。信仰を礎とした人間観、人生観、価値観また選択の基準を持つことが大切です。

「体の鍛錬も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。」(新約聖書・?テモテ4:8,9)