今週のメッセージ 2005.6.19

新しい父(母)親像を求めて

先週末の朝日新聞の『声』(読者投稿欄)に、ある中学校教員の方の「学校の教育は家庭で補おう」という投稿記事が掲載されていました。「子どもの教育に学校は大切な役割を担う。だが教育の基本は、やはり家庭なのだとわたしは思う。」「教壇に立ち、あいさつの仕方やはしの使い方を知らない子どもがいると気づいた。わたしの小学校時代を振り返ると、例えば包丁の使い方は母から習った。今ははしの使い方を給食指導で教える。遅刻をしない指導もしているが、家庭でも教えないと効果は上がらない」云々。

また、昨日の朝刊は、厚生労働省のまとめとして、昨年(04年)度において過労や仕事上のストレスで、うつ病などの精神障害を発病し、労災補償の認定を受けた人が過去最多となったこと、また30代および40代が全体の3分の2を占めていること、更にまた、長時間・過重労働で、脳・心臓疾患を発病して労災補償の認定を受けた人は、過去最多であった02年度に並んだことなどを報じていました。

かつては一家の家長として家族の中にあって一目置かれていたお父さん。経済の上昇期、更には高度成長期にあっては、馬車馬の如く家族の為、会社の為に献身的に働いたお父さん。そうした中でお父さんは、夜遅くしか帰って来ない存在、日曜日はテレビの前でごろごろしている存在といったイメージがいつしか定着、子どものことは女房に任せっ放しになってしまったお父さん。果てはバブル崩壊、リストラを経て、今や生命の危機にすら瀕するようになってしまっているお父さん。

しかし本来お父さんは敬われるべき存在、家庭にあって母親と共に子どもたちに神を敬うべきことを教えるべき存在、またそうした信仰を土台に、道徳的躾けも担うことを大切な役割として持っている存在のはずなのです。