週のメッセージ 2005.7.3

ヨルダン渡河の奇跡まさる奇跡

 

モーセに率いられエジプトを脱出したイスラエルの民に、約束の地カナンに入るための最後の難関が待ち受けていました。それは前を流れるヨルダン川をどうやって渡るかということでした。

しかし、「箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、川上から流れてくる水は、......壁のように立った」(ヨシュア記3:15,16)と記されているように、神は奇跡を以ってヨルダン川の水を堰き止め、イスラエルの民はなんなくヨルダン川を渡ることが出来たのです。それを記念し、ヨルダン川から取った十二の石で記念碑が建てられ、ヨシュア記が記された時点では「それは今日までそこにある」(同4:9)と記されています。

現代においてもそんな奇跡が起ったら、自分は神を信じられるようになるかも知れないと思われる向きもあるかも知れません。

しかし、現代においても神のなさった奇跡を記念して行われていることがあります。それは聖餐式と呼ばれる礼典です。主イエス・キリストが罪人であるわたしたちの救いの為に十字架にかかり、肉を裂き、血を流して下さった、その肉と血をあらわすパンとぶどう酒の杯をいただくという聖なる儀式です。聖書のみことばを信じて、そのパンと杯に与る時、わたしたちは十字架のキリストに与り、罪の赦しと贖いのいのちに与るのです。そしてこの儀式は、「主がこられるときまで」(?コリ11:26)とあるように、キリストが再び来られ、神の国と救いが完成する時を指向しているのです。

単に過去の出来事を記念するのではない。時空の隔たりを超えて、キリストの命に与らせ、かつ未来に神の国の完成を待望させる記念の聖なる儀式が今も営まれているのです。これって、ヨルダンの十二の石の記念碑よりすごいと思いませんか?