今週のメッセージ2005.7.10

まず神との関係を整えることから

 

前回はイスラエルの民のヨルダン渡河の出来事を下敷きに、聖餐式と呼ばれるキリスト教会の礼典のひとつについて記しました。

モーセの後継者ヨシュアに率いられたイスラエルの民は、いよいよ約束の地カナンに足を踏み入れたわけです。しかし、そこには既に七つの先住民族が住んでいました。イスラエルの民はこれから彼らと戦いを交え、カナンの地を勝ち取らねばならない重要課題を背負っていました。

その彼らに神が命じられたのは、臨戦態勢を整えることではなく、割礼を受けることでした。割礼は、イスラエルにとって神の民であることの重要なしるしでした。しかし、荒れ野の放浪生活40年の間に世代は入れ替わり、エジプトを脱出した時の成人男子は、ヨシュアとカレブの二人の外にはおらず、すべて荒れ野の生活の間に生まれた新しい世代でした。そして彼らはまだ割礼を受けていなかったのです。

割礼は、その傷が癒えるまで何日か必要になります。これから戦いが展開されるというのに、体調を崩すように見えることを神はなぜ求められたのかと思います。

ここに重要なことが示されています。人間の考え方としては、それは戦いが終わってからと後回しにしようとしがちです。しかし、イスラエルの民にとって割礼は神との関係をただす大事なことでした。神との関係が正されずして、彼らに戦いの勝利はなかったのです。

旧約時代の割礼は、新約時代の現代では洗礼がそれに取って代わっています。洗礼が神の民のしるしです。否、単なるしるしではなく、キリストの救いに与る信仰告白なのです。そして神は、何よりもまず、洗礼を以って神との関係を正すことからスタートすることをお求めなのです。