今週のメッセージ 2005.7.31

聖書の見方について

 

旧約聖書を読んでいくと、イスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱出した時、紅海の水が分かれたり、40年に渡る荒れ野の放浪生活にあっても、天から降ってきたマナで養われたり、時には岩から水がほとばしり出たり、......といった具合に多くの奇跡の出来事が描かれています。

そして新約聖書に入ってくると、主イエスの時代や聖霊降臨以後の教会時代の初期には数々の奇跡の出来事が描かれています。

しかし現代においては、かつてのような目覚しい奇跡はほとんど見聞きすることがないではないか、そしてその挙句には、聖書の記事は眉唾では...、神なんて本当は存在しないのでは...と結論づけてしまう向きも少なくないのではと危惧します。

聖書を見ていく時、注意しなければならないことがあります。それは旧約や新約を一絡げにして同一線上あるいは同一平面上で見ないことです。

聖書は、人間の救いの福音に関する真理の啓示の書です。真理の啓示は、時間の経過の中で漸進的になされてきたものです。啓示の段階のレベルがどの程度かによってその現われも異なってきます。大雑把に言うならば、旧約時代は可視的・此の世的・物質的です。それに対し新約時代は、次第に不可視的・彼の世的・霊的の傾向を示してきます。旧約時代の祝福は長寿、多産、物質的繁栄の傾向が強く、しかし新約時代になると罪の赦し、からだの甦り、永遠の命等が強調されるようになります。そして今や、奇跡によって耳目を引き付けるまでもなく、必要な真理の啓示は完結した66巻の聖書の中に記されており、もう最終段階を迎えているのです。大切なことは、聖書に聴いて、信じて従う、それ以外にないのです。すべては曖昧のまま終わるのではなく、最後の審判の決着が待ち受けているのです。