今週のメッセージ2005.8.21

「天にまします神」とは

 

キリスト教の有名なお祈りに『主の祈り』と呼ばれるものがあります。それは、「天にましますわれらの父よ」という神に対する呼びかけで始まっています。高校時代の思い出ですが、ある時、学校の屋上で友達と話していました。するとその中の一人が、“俺は神を信じるよ”と言いました。わたしは思わず空を見上げ、どこに神がいるというのだ、おかしなことを言う奴だ、と思ったことを記憶しています。

今になってみれば、「天にまします神」という表現は、決して神が天におられることを意味しているのではなく、神は人間の理解力や能力をはるかに超えたお方であることが意味されているのだとわかります。従って、そのような神を人間がいかに自分の能力で知ろうとしても無理なのです。

では、どうしたら人間は神を知ることができるのでしょうか。聖書の中に次のようなことばがあります。

「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。...そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」(新約聖書・?コリント1:21)

神は、ご自分の方から人間に対してご自身を顕して下さいました。それは御子イエス・キリストとキリストを証しする聖書によってです。宣教とは、聖書に基づいてそのキリストを伝えることであり、それを聞いてキリストを信じることから神を知る道が開かれるのです。神を知ろうとするよりも、まず、神に知られ、愛されていることを信じてかかることが大切なのです。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

(新約聖書・ヨハネ3:16)