今週のメッセージ 2005.9.11

聖書・契約・信仰

 

先週記しましたようにヨシュアの告別の言葉(遺言)はヨシュア記の23章にあります。その後にもう1章(24章)が加えられてヨシュア記は終わります。

その最後の24章に何が記されているかと言いますと、シケム契約と呼ばれる契約です。エルサレムの民がモーセに率いられてエジプトを脱出し、やがてシナイ山の麓にやって来た時、神はモーセを通していわゆる「十戒」を中心とした律法を授けられます。イスラエルの民はその律法を守り、神に従うことを約束します。これがシナイ契約と呼ばれるものです。

40年の荒れ野の放浪生活に終止符を打ち、ヨルダン川を渡り、カナンの先住民族等を制圧し、12部族に対する土地分割も終わって、いよいよカナンの地で本格的な定住生活が始まることになった時、あのシナイ山契約の更新がなされたのです。それがシケム契約というわけです。

聖書において契約は中心的な概念です。そもそも旧約聖書、新約聖書の「約」は契約・約束の「約」です。聖書は何を語っているかというなら、それはイエス・キリストです。キリストご自身が、「聖書はわたしについて証しするものだ」(ヨハネ5:39)と言われています。旧約聖書はそのキリストを約束・待望のかたちで証言し、新約聖書は、その待望の実現・約束の成就のかたちでキリストを証言していると言えます。そしてその聖書のキリスト証言を信じて生きていくのが信仰です。

聖書自身が聖書の書かれた目的を以下のように告げています。

「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアと信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(ヨハネ20:31)