今週野メッセージ 2005.11.6

士師時代の悲惨の因――王の不在

 

「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。」(旧約聖書・士師記21:25)

冒頭のことばは、旧約聖書の中の士師記という書の最後の締め括りのことばです。従って「そのころ」とは士師時代を指しています。この時代は、全体を統率する指導者が不在の時代でした。イスラエルの民は、ヨシュアに率いられて約束の地カナンに入り、そこに定住するようになるのですが、ヨシュアの死後、サムエルという全体を統率するリーダーが出現するまで、リーダー不在の時代が続きました。しかし神は、その時々、その地域地域で、必要な時には「士師」と呼ばれる小リーダーを起こしてイスラエルを導かれたのでした。士師記中には12人のそうした小リーダーが登場していることは前にも記しました。

しかし、総じて士師時代は「王」という語で表現されている、いわゆるリーダーが不在の時代でした。そしてそのことが根因でさまざまな問題が生じたのでした。士師記の最後の3章(19~21章)はそれらの記述です。聖所で聖務につくべきレビ人が妾を囲ったり、その女性がベニヤミン領でならず者たちに嬲り者にされて悲惨な死を遂げたり、それが発端となって内戦が起きたり、そのために大量の死者を出したベニヤミン族は存亡の危機に瀕したり、その救済策として聖なる主の祭が利用され、略奪婚が行われたり等々、宗教家の堕落、性道徳の退廃、戦争の大混乱です。士師記の著者はそれらの締め括りとして冒頭の言葉を記しているわけです。

神を畏れ敬い、神の言葉に則って統治統率するリーダーが必要なのです。今の時代も、残念ながらその意味でリーダー不在、堕落と混乱の中にあると言わねばならないでしょう。