今週のメッセージ 2005.12.11

神の評価と人の評価

 

礼拝堂に飾られたクリスマス・クランツの三本目のキャンドルに火がともりました。待降節第三週です。先々週記しましたように、待降節は来るべきクリスマスへの備えの時であると共に、再び来られるキリストへの備えの姿勢を整えられる時節でもあります。すでに「救い主」としてこの世に一度来臨されたキリストは、再び来られる時には「審主」としておいでになるのです。故にその時は最後の審判の執行の時となります。

聖書には、神の審判についていろいろな視点から描かれています。そのひとつに「タラントンの譬」(マタイ25:14~30)というお話しがあります。

主人が旅に出るに際し、僕たちにそれぞれの能力に応じて自分の財産を預けるのです。ある者には五タラントン、別の者には二タラントン、更に別の者には一タラントンを預けて旅立ちます。

五タラントンの者はそれを元手に五タラントン儲けました。二タラントンの者は更に二タラントン儲けました。しかし、一タラントンの者は商売することなくそれを地中に埋めたのです。

やがて主人が帰ってきて商売の結果の報告を求め、それぞれに評価を与えられました。その時、五タラントンの者も二タラントンの者も主人は同一の評価を与えられたのです。しかし、地中に埋めたままにした者に対しては厳しい裁きが下されました。

人間は単純に横並びにして評価をしてしまいがちですが、神は、その能力に応じた評価をなされるのです。奢ることなく、自己卑下することなく生きる道が、この神を信じて歩む中に見い出されます

「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」(新約聖書・ルカ12:48b