今週のメッセージ 2005.12.25 

時満ちて

 

「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。」(ルカ2:6,7)

「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」(ガラテヤ4:4)

上記の二つの聖句は、いずれも救い主イエス・キリストの誕生について“時が満ちた”ことを告げています。

最初の聖句は、マリアの子を産む生理的な時が満ちたことを指しているだけではありません。「彼らがベツレヘムにいるうちに」というフレーズが示唆しているように、救い主がベツレヘムで誕生することは預言者により預言されていたことであり(ミカ5:1,マタイ2:5)、その時が満ちたことも指しています。北のガリラヤのナザレに住んでいたマリアが、臨月の身重の体で、なぜベツレヘムにいることになったのか。それはローマ皇帝による住民登録の勅令の故でした。神の奇しき摂理を覚えます。

次の聖句は、もっと幅広く考えることが出来るかと思います。救い主がお生まれになった時、世界は、情報伝達において、いまだかつてなかった新しい状況が出現していました。一つはローマによる道路網の整備です。もう一つは、アレキサンダー大王による東方遠征が下地となってコイネーと呼ばれるギリシャ語が地中海沿岸諸国の共通語として普及していたことです。さらにもう一つは、バビロン捕囚によりユダヤ人の必要から生まれた会堂の散在です(使徒パウロは伝道旅行において、行った先々でこの会堂をまず拠点としました)。

道路、言語、会堂の三つは、キリストの福音という情報伝達のために、かつてない好状況を生み出しました。まさに“時が満ちて”いたのです。