今週野メッセージ 2006.1.8

「サムエル記」の書名となったサムエル

 

聖書は66巻の書から成っています。そしてそれぞれの書名には人の名前が用いられているものがかなりあります。それらの名前は、大体、その書の主人公であったり、その書の著者であったりすることがほとんどですが、サムエル記という書名はいささか異なるものを感じます。書名に用いられているサムエルという人物は、その著者ではありませんし、またその書の主人公というわけでもありません。書中で一番多くスペースが費やされて描かれているのはダビデという人物ですし、次はサウルという人です。サムエルは3番目です。しかしサムエルが書名に用いられているのです。

そのわけは、彼が担った役割の重要さの故だと思われます。その故に彼は、旧約聖書中でモーセと並び称せられているほどです。

このようなサムエルが誕生した背景には、彼が乳離れするとすぐに祭司エリという人のもとに預けられ、従って彼は祭司エリに仕えて育ったという生い立ちが大いに影響していると言えるでしょう。

なぜ彼がそんなに幼くして祭司のもとに預けられることになったかというと、彼の母ハンナに長い間子どもが生まれなかったことに関係しています。当時子どもが生まれないことは、神の恵みの喪失とみなされました。加えて夫エルカナにはもう一人の妻ペニナがいて、彼女の方には子どもがおり、その優越性の故にペニナはハンナをいびって苦しめたのでした。

実は、その苦悩の中でのハンナの祈りが、サムエルの誕生となり、その幼子が祭司に預けられる道筋を作り、そのことがサムエルを偉大な神の器として育んだのです。

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。」

(旧約聖書・詩篇119:71、口語訳)