今週のメッセージ 2006.2.12

信仰の対象と要

 

旧約時代のイスラエルの民の生き様は、わたしたちの信仰生活にとって実に示唆に富んだ材料を提供してくれていると思います。

イスラエルの民の生活の場の中心は聖所と呼ばれる礼拝の場でした。その聖所の奥には至聖所と呼ばれる最も聖なる場所とされる所があり、その中には契約の箱と呼ばれる箱が安置されていました。

この箱には、それにまつわるいろいろなエピソードがありました。かつてイスラエルの民がカナンの地に入る時、その手前のヨルダン川を渡る際には、この箱を担いだ祭司の足がその水面に触れるや否や、ヨルダン川の水が分かれ、乾いた地が現れました。カナンに入り、エリコという堅固な城壁で囲まれた町を攻めた時には、この箱を担いだ祭司たちがその城壁の周囲を巡ることにより、城壁が崩れたと伝えられています。

そうしたことから、イスラエルの民は、箱自体に何か神的パワーがあるように錯覚してしまったのです。

ある時、ペリシテ人との戦いでイスラエルは劣勢に陥り、それを挽回しようとその神の箱を戦場に搬入したのです。しかし結果は案に相違して大敗を喫してしまい、その大事な箱までペリシテ軍に奪われてしまいました。神の箱それ自体に神的パワーがあったわけではなかったのです。

では、神のパワーはどこにあったのでしょう。当然のことながらそれは神ご自身でした。さらに、そのパワーはどのようにして与ることができたのでしょう。実は、神の約束の言葉とそれを信じて従うことによってでした。ヨルダン川渡河、エリコの戦いでの勝利も、箱そのものではなく、それに関わる神の言葉とそれへの信仰と服従がそのキーポイントだったのです。そして信仰におけるこの原理・原則は今においても同じなのです。