今週のメッセージ 2006.2.26

死の怖さ

 

「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることとが定まっている...」(新約聖書・ヘブライ人への手紙9:27)

 

病室に4号室がないのは、「4」と言う数字の読み方の一つに「し」があり、それが「死」を連想させる故であることはよく知られていることです。そのことは「死」というものが忌むべきものであり、恐ろしいものであるからに他なりません。

なぜ「死」は忌むべきものであり、恐ろしいものなのでしょうか。

まず考えられることは、自分という存在がそこで消滅してしまうように見えるからでしょう。また、愛する者との有無を言わせぬ別離の強制への恐れでもありましょう。

さらにそこに至るまでの肉体的・精神的苦痛を厭う故でもあるでしょう。

あるいは、人生において遣り残したまま去らなければならない恐れもあるでしょう。

またさらに、全く未知の世界に送り込まれる怖さもあるでしょう。

しかし、死の本当の怖さは、その向こうにおいて神の前に立ち、裁きを受けなければならない怖さではないかと思います。

前回はノウブレス・オブリージのお手本として聖隷福祉事業団の創設者故長谷川保氏のことを記しましたが、その事業団の前身は聖隷保養農園という結核患者の療養施設でした。そこでは、結核菌と闘う前に、当時結核は死に至る病であった故に、まず死を恐れない人間造りが課題であり、そのためにまず礼拝があったといわれます。主イエス・キリストの十字架の死と復活は、まさに罪ゆえの死と滅びからの救いであるからです。