今週のメッセージ 2006.3.5

王の王、主の主

 

旧約聖書の中に、イスラエルの民が王を立てることを求めるところがあります(サムエル記上8:5)。当時の指導者サムエルはそれを悪しき要求と考え、神に祈ります。すると神は、民の要求はあなた(サムエル)を斥けるものではなくわたし(神)を斥けるものだとし、今は民の要求を受け入れるべきことと、民にこの世の王はいかなる存在であるかを教えておくべきことを指示されます。

サムエルは、王が徴兵、徴税、徴用を課し、あなたがたはその奴隷となり、その厳しさの故に泣き叫ぶこととなると警告します。しかし民はあくまで王を要求、イスラエルは王制国家へと変わって行くことになります。

聖書は、王制それ自体を悪としているわけではないのですが、とかくこの世の支配者は民の福利よりも、権力者の利益・都合を優先、民はそのために不当な搾取に泣かされることになると警告しています。

他方、聖書には真の「王の王、主の主」なる方が登場しています。新約聖書に以下のような1節があります。

「神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることができない方です。」(?テモテ6:15,16)

また新約聖書の最後の書『ヨハネの黙示録』には、神が「定められた時に...現して」くださるキリストが、裁きを執行する方、その名を「王の王、主の主」といわれる方として登場しています(19:11〜16)。

このような「王の王、主の主」なる方がおられることを証しし、その支配に服して生きることを聖書は勧めているのです。