今週のメッセージ 2006.4.2

聴き従うことを求められる神

 

イスラエルの初代の王となったサウルという人物を見る時、聴き従うことをいかに神が喜ばれ、求めておられるかを痛感させられます。

サウルが王位について程なくしてペリシテとの戦いを余儀なくされました。事前にサウルは預言者サムエルから、なすべきことを教えるので、わたしが着くまで待つように、と指示を受けていました。

しかし、戦雲急を告げ、ペリシテの大軍が今にも攻めて来そうな状況です。他方、イスラエルの民は、恐れをなして身を隠す者、逃亡を企てる者、サウルと共に踏み止まっている者たちも恐怖に慄いている始末です。

そんな時、サウルはサムエルが約束の期日を過ぎてもまだ到着しないので待ちかねて、彼自身は祭司でもないのに“焼き尽くす献げ物”を献げる儀式を行ってしまったのです。

ちょうどそれが終わったところにサムエルが到着し、何をしたのだ、と問い質され、サウルは、ペリシテの危機が迫る中、部下たちは怖気つき、逃亡する者も現れ、まだ神に恵みを求めていなかったことに気づき、敢えて“焼き尽くす献げ物”を献げましたと応えます。

するとサムエルは「愚かなことをした」とサウルを叱責し、サウルの王権は長くないことを告げたのです。王制国家への転換を選択したイスラエルが、今後神の祝福に与るためには、上に立つ王自身が神に聴き従うことが不可欠なことだったのです。この原則はわたしたちの歩みにおいても同じです。聞き従うことこそ、神が最も求めておられることなのです。

「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。」(サムエル記上1522