今週のメッセージ 2006.5.14

全き救いの完成の礎

 

“キリストの復活”が、われらの復活の希望の確かな根拠であること、また、それは、十字架の死からの復活である故に、われらを罪と裁きから贖い出す拠り所であることを二回にわたって記しました。

今週はその最後として、“キリストの復活”は全き救いの完成の礎であることを記したいと思います。

前々回記しました“復活の章”と呼ばれる『コリントの信徒への手紙一』の15章の中に次のような1節があります。

「次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。...最後の敵として、死が滅ぼされます。」(24、26節)

キリストの復活は、実に世の終わりにおいて、キリストが神に対するあらゆる敵を滅ぼし、最後に死そのものをも滅ぼすその先駆けだったのです。

新約聖書の最後の書、『ヨハネの黙示録』の21章には、来るべきその時の状況が次のように記されています。

「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。...そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものはすでに過ぎ去ったからである。』」(1、3、4節)

そのようなわけで、キリストの復活は、新天新地の到来、すなわち、創造主なる神がすべてを刷新され、再創造なさることの先駆けそして礎なのです。この時こそ、まさにわれらの救いが全き完成を見る時なのです。