今週のメッセージ 2006.7.2

実行不可能に見える教えについて

 

聖書の中に、実行不可能に見える教えがあります。『マタイによる福音書』中の「山上の説教」(マタイ51~729)、あるいは『ルカによる福音書』中の「平地の説教」(ルカ620~49)はその最たるものでしょう。

たとえば、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬を向けなさい。上着を奪い取る者には下着を拒んではならない。......」(ルカ627~29)等々。どれ一つを取り上げてみても、理想的かも知れないが実行不可能と思えることばかりです。こんな教えはナンセンスと決め付ける向きもおありでしょう。

しかし、この教えの語り手であられる主イエスは、このお言葉通り実践して生き通されたのです。その御蔭でわたし達に赦しの道が開かれたのです。この主イエスを愛する独り子たされる天の父が、その独り子を世にお送り下さったからこそ、わたしたちの救いが実現したのです。もし神が、敵対していたわたしたちに同じように敵対されたままだったら、わたしたちは滅びる以外になかったのです。また、かつてその無知さの故に主イエスに対して侮辱的暴言を吐いてしまったわたしたちを、もし主イエスが斥けてしまわれたら、わたしたちの赦しの道は閉ざされたままでした。

「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタ548)を主は言われます。主が完全なお方であられるからこそ、また主が完全な生き方を教えて下さったからこそ、わたしたちは、人間としての真のあるべき生き方を知らされ、自らの罪深さに気づくことが出来、かくしてわたしたちに救いの道が開かれたのです!