今週のメッセージ 2006.8.6

信仰とは

 

救い主イエス・キリストの来臨に6ヶ月先立ち、先駆者的使命を与えられてこの世に生を受けた人物に洗礼者ヨハネという人がいます。彼は人々に、キリストを迎える心備えをさせることを使命として活動しました。

ある時、ガリラヤの領主ヘロデが、自分の兄弟の妻を妻とするという不道徳を行った為、ヨハネは、それはよろしくないと直言したところ、ヘロデの恨みを買い、投獄されてしまったのです。

かつてはキリストを指し示して「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と人々に紹介したヨハネでしたが、牢獄に一人閉じ込められることとなり、キリストに対する信仰も揺らぎ出したのでしょう。そこで弟子をキリストのもとに遣わして尋ねさせたのです、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」。

それに対する主イエスの返事は、かつてイザヤという預言者が、来るべきキリストとその御業を預言した言葉(イザヤ35:5,6;61:1)を下敷きとして、ご自分が目下行っておられる業がまさにその預言の成就であることの示唆を以って応えられたのでした。そして、「わたしにつまずかない人は幸いである」と付け加えられました。

わたしたちはとかく、自分の置かれた状況や、好不都合などの物差で神を考えがちです。事が順調に運んでいる時は、信仰の揺らぎもあまりないのですが、逆境に陥ると途端に揺らぎ出し、つまずくのです。ヨハネの揺らぎもそれに類するものだったといえるでしょう。それに対しキリストは、旧約聖書の預言の言葉と、それに照らしたご自身の業を提示され、信じることを求められたのです。信仰とは、徹頭徹尾、神の言葉に聞くことからスタートし、その約束の成就を信じて生き抜くものなのです。