今週のメッセージ 2006.11.12

祈りをささげる勇気

 

「万軍の主、イスラエルの神よ、あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。」(旧約聖書・サムエル記下7:27)

 

祈りにもいろいろあります。

まず“困ったときの神頼み”式祈り。すべての人がその人生において1度や2度はそうした経験を持っているのではないでしょうか。

そうした祈りは決して否定されるべきものではないでしょう。しかしそれは、往々にして“喉もと過ぎれば熱さを忘れる”で終わってしまいそうです。誰に祈ったか、何を祈ったかも忘れてしまいかねません。

次に、お百度参り式祈りがあります。切なる願い事のために執拗に祈るのです。是が非でも叶えていただきたいと懸命に祈ります。こうした祈りも否定されるべきではありませんが、しかしともすると神の御心を尋ねることを脇に押し遣り、自分の願望をゴリ押ししかねないところがあります。

冒頭の聖句の中の僕(しもべ)とはダビデのことです。このダビデの祈りは、上述の二つの祈りとはまったく異なる祈りです。“困ったときの神頼み”の祈りではありませんし、また 自分の願望をゴリ押しする祈りでもありません。それは、神の豊かな恵みとお取り扱いに感動し、神の約束の言葉に勇気付けられて祈っているのです。

真の神は生きておられ、かつわたしたちの祈りに耳を傾けて下さるお方です。聖書に向かう時、神の恵みの豊かさ、その御業のくすしさに感動させられます。それに勇気付けられ、神の御約束の確かさに支えられて、祈りをささげたいものです。