今週のメッセージ 2006.10.8

神が望んでおられること

 

新約聖書の中に次のような言葉があります。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(?テサロニケの信徒への手紙5:16〜18)

「絶えず祈りなさい」と言われても、年がら年中、祈り三昧の生活を送るわけにはいかない。「いつも喜んでいなさい」と言われても、苦しんだり、悲しんだり、怒ったりすることの方が多いのが、わたしたちの人生の現実だろう。「どんなことにも感謝しなさい」など、求める方が無理というもの。

また、喜べるような状況に置かれたら、喜びなさいなどと言われなくても喜ぶことが出来る。感謝したくなる状況に置かれたら、求められなくても自ずと感謝できると言うもの。また、“困った時の神頼み”の際には、祈らずにはいられない思いに駆り立てられ、強いられなくても祈りの言葉が口をついてほとばしり出るもの。

大体、そんなふうに考えるのが人の正直な思いではないでしょうか。

しかし、神はそのような意味合いで喜び・祈り・感謝を望んでおられるのでしょうか。

どうもそうではないようです。冒頭の聖句で見逃してはならないのは、「キリスト・イエスにおいて」というフレーズです。同じ著者使徒パウロによる『フィリピの信徒への手紙』においても、「わたしの兄弟たち、主において喜びなさい」(3:1)とあり、「主において」のフレーズがあります。

「主」即ち「キリスト・イエス」にある時、“いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する”道が開かれることを聖書は示唆しているのです。そしてその道を見い出すことを、神はわたしたちに望んでおられるのです。