今週のメッセージ 2007.1.28

神の御心と人の祈り

 

旧約聖書・サムエル記下の15章から19章において、わが子アブサロムの反逆により都エルサレムから逃れ出ることを余儀なくされたダビデ王が、再びエルサレムに帰還することが記されています。

そこにおいて、ダビデが都に帰還出来た経緯を人間の眼から見る時、アブサロム側の情報と助言を携えてダビデ王に知らせようとしたアヒマアツとヨナタンという二人の人物が、後を追って来たアブサロムの部下に危うく捕らえられそうになる危機に遭遇してしまいます。二人はある家の内庭の井戸に身を隠していたのですが、その家の妻の機転により危うく難を逃れることが出来、無事ダビデに情報と助言を伝えることが出来たことにより、王と部下たちは直ちにヨルダン川を渡り、時間稼ぎをしながら戦いの態勢を整えることが出来たのです。

他方、アブサロムはらばに乗って走っていると、たまたま樫の大木のからまりあっている枝の下を通った際、その枝に頭部がひっかかり、宙吊りになってしまい、たまたまダビデ側の兵士にそれが見つかった為、ダビデ側の軍司令官ヨアブによって殺害されてしまいます。

即ち、人間の眼から見ると、ダビデの側に付きがあり、他方アブサロム側は不運だったように見受けられます。

しかし、それらの記事の中に、ダビデが祈り(16:31)、また、「アブサロムに災いがくだることを主が定められた」(17:14)とあります。そしてこの二つが不思議に呼応するのです。偶然の成り行きに見えながら、その実、人間の計画や業を超えたところの神の御心と人間の祈りがくすしく絡み合って神の御旨が実現したのです。祈りは、人間を超えたところで、神の御心に沿う歩みへと人を導く力があるのです。