今週のメッセージ 2007.2.4

「キリスト教は外国の宗教だから...」?

 

「キリスト教は外国の宗教だから...」は、キリスト教信仰の受け入れを斥ける際によく言われる主張です。その場合、日本の宗教として「仏教」や「神道」が念頭に置かれていると思われます。

しかし、仏教はインドにおいて釈迦によって創始され、それが中央アジア、中国、朝鮮を通って日本に伝来したものであることは周知の事実です。

他方、神道は確かにある意味では日本人の宗教と言えます。それは日本人であればみなその信者と看做されてしまうようなところがあります。神社はその土地の住民であれば「氏子」に数えてしまうところがあるからです。また靖国神社などは、太平洋戦争で戦死したすべての日本人を祀っているようですし、自衛隊で殉職した人も、遺族の意志に反して強引に祀ってしまっている為に裁判沙汰にまでなったケースもあります。

しかし本来、真理は普遍的のものであり、従って国や人種の違いなどを超えて受け入れられるべきものであるはずです。

キリスト教と他宗教の違いを的確に言い表しているものに内村鑑三の言葉があります。それは、「キリスト教はいわゆる宗教ではない。神より人への啓示である。宗教は人が神を求むるものであるが、キリスト教は神が人を求むるものである」というものです。そしてこのことをよく示している聖書の言葉の一つとして、次の言葉を挙げることが出来るでしょう。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

(新約聖書・ヨハネ3:16)

しかし、論理で説得しても、それが即救いにつながるわけではないということは、牧師として自分自身を常に戒めていることです。