今週のメッセージ 2007.2.11

入信決断のタイミング

 

「聖書やキリスト教についてもう少しわかるようになったら...」と入信や受洗の決断を先延ばしされる方がおられます。確かに基本的なことすら把握されないで入信を表明されたり、洗礼を受ける決断をされたりするのは妄信の謗りを受ける危険性があります。そこで、「信じる」ことと「わかる」ことについて少し記してみましょう。

まずキリスト教は信仰を告白することをとても重んじます。その理由は、「救い」の恵みは「信仰」という管を通して神からわたしたちにもたらされるからです。聖書に、「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました」(新約聖書・エフェソ28とあります。

そしてこの「信仰」というものは「告白する」ことにより明らかになります。確かに神は、わたしたちの心の中をご存知ですが、しかしご自身の語りかけ、働きかけに対する応答としてわたしたちに信仰告白を求められます。また他者には、わたしたちが内なる信仰を告白することにより初めて伝わるのです。

そこで、自分が神の御前に罪人であること、また主イエス・キリストの十字架の贖いによる罪の赦しと永遠の命の救いの道が開かれていることを理解したなら、入信を決断されて信仰に道に進まれることをお勧めします。

古代キリスト教会の最大の教父アウグスティヌスという人が次のような言葉を遺しています。

「認識は信仰の報酬である。それゆえ信じんがために認識を求めようと欲するな。むしろ認識せんがために信じよ。」

信仰の世界は、信じることによりわかってくることの方が圧倒的に多いことからも、信じて踏み出すことが大切なのです。