今週のメッセージ 2007.3.4

ひな祭りに十字架のキリストを想う

 

昨日33日はひな祭りでした。小さな女の子どもさんのいるお宅ではおひな様を飾って楽しまれたところもおありでしょう。わが家の長女が幼かった頃、スペースが狭かったこともあって男雛と女雛一対を飾った思い出があります。住宅事情の恵まれているお宅は豪華な七段飾りの雛人形を飾られたところもおありかと思います。

ひな祭りの起こりは、人形に己が身の罪や穢れを移し、海や川に流して災厄を逃れた流し雛にあると考えられ、お祓いの為の人形に供物をささげて後にこれを送るのが本来の意義であったと言われています。またこの人形は贖物(あがもの)とも呼ばれているとのことです。ということは、毎年、そうせずにはおれない罪や穢れを人間は昔から己が身に感じていたと言えます。

となると、どうしても主イエス・キリストの十字架を想わずにはいられません。新約聖書・ヘブライ人への手紙の中に、「世の終わりにただ一度、ご自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました」(9:26)とあります。「ご自身」とは主イエス・キリストです。「罪を取り去るため」とは誰のことかと言うと、それはあなたであり、わたしのことです。「いけにえ」とは、あなたの罪、またわたしの罪を取り去るためにキリストが身代わりとなって十字架で死なれたことを指しています。流し雛は毎年行われますが、キリストの十字架による贖いは「ただ一度」で十分でした。故に、キリストのいちばん弟子だったペトロは、キリストが「十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです」(1ペトロ2:24)と記しているのです。