今週のメッセージ 2007.3.25

天国について

 

高校3年生の頃でした。昼休みに学校の屋上で友だちと話していた時、神の存在の話しになり、俺は神を信じるよ、という友だちを変った奴だと思い、どこに神がいるというのだ、と思わず天を見上げたことがありました。今思うと自分はずいぶん素朴というか奥手だったなと思います。

ところで「天国」と聞くと、当時の自分だったら同じく天を見上げて探しそうですが、それは決して“大空のどこかに存在する国”ではありません。聖書では「御国」ともいわれ、また「神の国」とも呼ばれます。

主イエスの「神の国」に関する言及を見ますと、「神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」(ルカ22:18といわれ、未来に属するものとして語られています。しかし他方で、「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(マタイ12:18ともいわれ、現在に属しているものとも語られています。

一見矛盾しているように感じられるかも知れませんが、両方とも真実なのです。「神の国」にはこの両面があるのです。大体「神の国」とは“神の支配”のことです。神の御子イエス・キリストがこの世に来られたことによりすでに「神の国」はこの世に到来しているのです。しかし、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(ヨハネ黙示録21:4という「神の国」の完成はまだ先に待たなければなりません。わたしたちは、“すでに到来している”という信仰、しかし、“その完成はまだ先に待たなければならない”という希望との間でいきているわけです。これが信仰生活なのです。そこには確固とした生の拠所と希望の生活があるのです。