今週のメッセージ 2007

日用の糧を求める祈り

 

121「『主の祈り』について」と、311「わたしたちの教会の礼拝」のところで『主の祈り』についてすでに触れましたが、主イエスさまがわたしたちに、このように祈りなさいと教えて下さった『主の祈り』は、前半の神に関する三つの祈願と、後半の人に関する三つの祈願から構成されています。

後半の人に関する祈りの最初は“日用の糧”を求める祈りとなっています。すなわち、「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」がそれです。聖書中では、マタイとルカ共に「必要な糧」となっています。

この「必要な糧」(日用の糧)と訳されている語(原語はギリシャ語)は、新約聖書中、この2箇所ににしか出て来ない語とのことです。その理由が最初わからなかったそうですが、研究が進む中で商売用語だとわかったそうです。

そもそも新約聖書で使われているギリシャ語そのものが、当時の哲学者や文学者が書物などで使っていたギリシャ語とは異なるそうです。つまり当時の一般民衆が使っていたギリシャ語とのことです。

そう聞くと、神、聖書、キリストといった存在に親近感を覚えます。わたしたち人間に関する祈りの最初に“日用の糧”について先ず祈ることを教えて下さったなど、実に信仰や祈りが現実から遊離したものでないことを示しているといえるでしょう。

主は、「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈れといわれます。その精神は、先取りして将来の為に安全を確保するとか、一部の者たちだけが大半を所有するといったものではありません。人間が互いに連帯し、日毎に、必要な糧を今日も与えて下さいと祈りつつ共に生きて行くのです。